色々と思う所があって手に取った一冊。
表紙のデザインがイマイチだったので、期待値はやや低めで読み始めてみたら非常に面白くて一晩で読了。 という事で、アマゾンのレビュー用に書いたテキストを少し加筆修正してこちらにも残しておきたいと思います。
「スタートアップ・バブル 愚かな投資家と幼稚な起業家」
ダン・ライオンズ / 長澤あかね訳 講談社
👆カバー写真の蜘蛛の巣は、「インターネット ( = Web)」 と「蜘蛛の巣( = 絡め取られてしまうのは誰か) 」というダブルミーニングだろうと推測。
■シリコンバレー的企業分化の特徴
いわゆるシリコンバレー的と言われる企業文化は、
- 自由と自己責任
- ダイバーシティとインクルージョン
- 社会に価値をもたらす
- 自らを信じて全力で取り組む
- シンプルに、素早く
- 考えるより動く
- 失敗から学ぶ
などのとてもポジティブなエネルギーに満ち溢れている。複雑性と不確実性が交錯している現代において、局面を打開したり、時流を捉えて成長していく為に必要なキーワードというものは、いつの時代もそういう性質を備えているのだと思う。
私は40代後半で、これまでの社会人生活の9割型は伝統的な日本の家族的、滅私奉公的な企業文化ではなく、「会社と個人は契約に基づく関係ですので」といった文化圏で生きてきたので、本書に出てくるようなシリコンバレーのベンチャーに限らず、多くの米国企業がこうした価値観で自らの文化やビジョンを再定義したり、環境適応させている事を実体験として感じている。
それだけに、この50代の著者が繰り広げるある種の珍道中は決して他人事ではなく、自らの胸に問いかける事も多々あった。
■転職は年を重ねるにつれ苦労も増える
この著者も、メディアの世界にこれまで身を置いて、一流と呼ばれる経営者や起業家と接し、自らも高い視点で世界的なメディアで問題提起をしてきた経験を有し、さらに個人としてSNS上での高い影響力も備えている傑物である。
そうした経験と実績は誰もが得られるものでは無い。もちろん、何より本人が能力と努力と戦略で機会を活かして獲得したものだ。そうして積上げた経験と実績は今回の環境変化においては変化というリスクを引き受ける原動力となった反面、プライドとして本人を縛る鎖にもなっている。
社会人であれば、だれでも自分が自信を持つ経験や成果に対して、
- 相手がそれを理解出来ない
- 相手がそれを尊敬しない
- 相手がそれに興味を持たない
といった「コンテクストが通じない」世界に迷い込んだり、リアクションに遭遇した場合に心がザワついた経験をお持ちではないだろうか。とりわけ著者のように、普通の社会人よりは知名度も実績も確固たるものがある人にとっては尚の事で、それが大きなストレスを引き起こす事を本書は改めて教えてくれる。
高すぎるプライドと低すぎる自尊心はどっちも面倒くさいので、周りの人から距離を取られて孤立するリスクが高いのだ。
■ストーリー(ネタバレなし)
こういったシリコンバレー的な企業文化を体現した若い会社に、伝統的な業界から一人の男性が降り立った時に何が起きるのか。
時に辛辣に、時にユーモラスに描かれているその情景は、「マーケター」としての転身を目論む著者の異文化適応プロセスから始まるが、やがてそんな悠長な話ではなく、サバイバルストーリーへと変化していく。
物語はニューズウィークをリストラされる事になった50代の著者が、家族を養う為にこれまでブログ、記事、講演などを通じて築いてきたメディアビジネスのプロとしての経験を武器に、伸び盛りのベンチャー企業に再就職。あわよくばIPOでボーナスを獲得しようと意気揚々と乗り込んでみたものの、社会経験の乏しい20代の上司やエキセントリックな同僚に囲まれる日々の中で、自分の立ち位置を模索する苦悶の日々が始まる。
やがてスタートアップ企業が持つ独特の仕事に対する考え方、利益が出てないのにコスト管理に無頓着、宗教的に心酔されるカルチャーコードがもたらす行動規範、組織的に未成熟な意思決定プロセスなど、当初の興味は違和感となり、やがて小さな出来事をきっかけに衝突を繰り返して孤立していく様はドライな描写だからこそ空恐ろしくなってくる。
起業家、投資家、従業員、顧客のすべてがハッピーになるなんて事を素直に信じられるほど純粋ではない分別盛りの大人が、時に自らを見失いそうになりながらたどり着いた結論の先に待っているものは何か。個人として経験するには少し怖いエピローグで、決して後味はよろしくないかもしれないけれど最後まで楽しめるストーリーテリングはさすが一流紙で筆をとってきただけの実力。
■世代別の読みどころ
- 40-50歳代の方
「働き方改革って言われてもなぁ」と戸惑ってしまうような人にとっては共感できる事もあるだろう。中高年になって新しい環境に挑戦するときに、過去のプライドほど邪魔なものは無い、という事もこの作品は教えてくれるし、自分の知見に耳を傾けないどころか興味も示さない年の離れた若者とどう相対するか。決して他人事では無いと感じられるはずだし、若者を非難しつつも、自らもどこかに同質的な身勝手さを内包している点についても自らを省みてどうか、と考えさせられる箇所もある。 - 20代~30代の方
こうした企業文化こそ当たり前であり、あるべき姿であると感じられる人が恐らく多数派なのだろうと思う。そういった方には、多様性というものを学ぶテキストとしておすすめである。「安易に場違いなところに迷い込んだおっさんの間抜けな話」と片づけてはいけない。やがて自分達もそういう世代になる事を前提に、変化に翻弄されるとはどういう事なのかを若いうちに読んでおくのは悪くないはずだ
■問題の企業カルチャーってどんなものなのか?
どのみち名指しされているので隠す必要もないので書いておくが、本書でまな板の上にあがっているのはHubSpot社である。マーケティング界隈に明るい人やIT関係に投資業務等で携わる人にはなじみがある会社だろう。同社のCulture Code は以下のSlideShareをぜひご覧いただきたい。本書がさらに面白く読めるはずだ。
さて、本書で味噌くそに書かれている同社であるが、ここが標榜しているインバウンド・マーティングという考え方は、日本のマーケティング界隈でも一定の認知と評価を得ていると私は見ています。マーケティングの意識が高い筋からの平均的な評価としては「インバウンドマーケティングだけで全てが解決する訳では無いけれど、言ってる事は理解できるし、正しいと思うんだよね、俺。」というところでしょうか。
実際、CEOとCTOが共著で同社が標榜する「インバウンド・マーケティング」の考え方*1をまとめた書籍がある。広告を前提としたプッシュ型のマーケティング論に一石を投じる部分はありますので、一読の価値はあるかと。
*1: すごく簡潔に私の解釈で書いておくと「広告を中心としたプッシュ型の手法でこちらのメッセージを発信するだけでは、見込み客の注意や関心を惹きつける事は出来ない。大切なことは未来の顧客に見つけてもらう事だから、その為には発想を変える必要がある。」みたいな感じ。