早いもので5月。だいぶ陽気も良くなってきて旅行も楽しいシーズンになってきたが、実は5月16日は「旅の日」らしい。なんでも松尾芭蕉が奥の細道を執筆するために江戸を出発したのが旧暦でこの日だそうで、変なダジャレの記念日ばかりのなかでは何となく趣があってよいと感じる。
そんな楽しい旅行計画が一転して悲惨な事態に陥ったのが2017年3月27日に東京地裁から破産開始決定を受けた「てるみくらぶ(東京・渋谷)」だ。同社は151億円の負債を抱えて経営破綻 (破産)したが、すでに風化し始めた感もあるこのニュースに接した時に、
- 旅行業界が持つ構造的な問題と置かれている環境
- 旅行という一般的には非日常の購買に対する消費者の態度
という二つの異なる問題意識が浮かんだ。1については別コラムで業界の置かれている状況とそこから学べるポイントなどを寄稿しているのでそちらに譲るとして、こちらの投稿では2の方について少しメモしておくことにしたい。
◆旅行が家計に占める程度
観光白書2016*1 によると、一世帯あたりの旅行関連支出の平均は116,772円(2015年)。ここ数年は家計における自由時間支出の内、18%程度を占めている事が理解できる。自由に使えるお金の内、約2割が旅行に費やされると考えるとそれなりに生活者にとって旅行は重要なものである事はこのデータからも理解できる。
ただし、このグラフは旅行関連支出という事で、例えば旅行鞄の代金だとか国内も海外も混ざっているので、本稿の趣旨に照らして海外旅行の予算感が実態としてつかめるデータという意味で、旅行年報 2016年版の以下のデータを採用したいと思います。
この旅行費用価格帯を見てみると、53.7%が20万円未満の予算という事になり、40万円未満に80%が収まるので個人的には違和感は無い。
話がそれるが、我が家で家族旅行をする時に何となく想定するのはひとり25-30万程度なので、筆者もしっかりマジョリティに含まれている事が今回の調査で再確認出来た。
さて、冒頭で触れた「てるみくらぶ」の被害者はどの程度の価格帯の商品を購入していたかというデータが東京商工リサーチから出されている*2 。このデータと先の旅行年報における費用の分布を重ねると少し違いが見えてくる。
全体をパッと見た感じではおおむね旅行年報の旅費に関するデータと整合していますが、20万円以上と30万円以上の部分で「てるみくらぶ」利用者の比率がやや上回っています。単純化する意味で、上記グラフの6つの価格幅を2つずつ安い順から低価格(19万円未満)、中価格(20~49万円)、高価格(50万円以上)でまとめると、中価格における「てるみくらぶ」利用者の構成比が高い事が浮かび上がる。
報道を読む限りでは「安い」事が魅力で台頭してきた旅行会社であり、消費者の期待値もそこにあった、というトーンが目につくが、実際の旅行費用の分布で見てみると、必ずしも「低価格ねらい」の人ばかりが「てるみくらぶ」を選択していた訳ではないのかも、と思わせるデータである。
にもかかわらず、「明らかに低価格でお買い得」だったという認知が形成されていたという点がとても興味深い。同社の旅行商品のすべてを同一条件で他社と比べる事は今となっては不可能だが、日経MJ 4月9日号の記事では同社の利用者の談話に寄せて次の記載がある。
パンフレットを見ると相場の半額のツアーもある
アテンションを引くために意図的に特価を出すというのは、この手の価格競争が激しい業界ではよくある話で、多くの同業者も財務的に許容可能な範囲でやっていたはずである。ある種のチキンレースのような状態であり、破綻の要因としてキャリアのフリートが大型機から中型機に変わり、座席効率が良くなった副作用という指摘も出ている。こうした環境変化は「てるみくらぶ」に固有のものでは無いが、環境変化に際して戦略を変えることなく低価格に邁進した結果の焦げ付きが問題、というのが同記事の見立てであった。
週刊誌の見出しでは社長がイベントに過剰投資したといった事もややスキャンダラスに指摘されているのが、業界共通の環境変化と同社固有の経営問題の両方が要因という事だろう。
◆消費者が意識している事は何か?
ここで少し視点を変えて別のデータを見てみたい。下記は消費者庁の消費意識基本調査に掲載されているデータの抜粋だ。
このデータによれば、およそ8割の消費者は「表示や説明を十分理解し、その内容を理解した上で商品やサービスを選択する」という事について「心がけている」と回答している。つまり、約8割の消費者は慎重に選んでいます、という話だ。
一方で、「トラブルに備えて対処方法をあらかじめ準備・確認しておく」という点については心がけている人が4割弱まで減る。
この落ち方をどう解釈するか?
「買う時にはそれりに調べたり確認して慎重に選んでいるけど、万が一の際の事についてはあまり備えていない」という人が結構いる、という事である。
厳しい言い方をすると「甘い消費者が多い」とも言えるが、こと旅行代理店に関して言えば、その利用頻度を考慮すると、自らの経験量は乏しくなるので、口コミや認知度が大きく影響する事が予測される。
旅行における不測の事態とは「事故や犯罪、テロに巻き込まれる」といった予見不可能なことに対する危機意識であり、手配した代理店が倒産する、という事態は普通、考えない事なのだと推測される。先の日経MJ記事でも、
安すぎて心配と思ったが。2泊3日で妻と2人で4万円台の安さに負けた
(同社で韓国旅行を予約した横浜市の男性(39)のコメント--4/9日経MJ より
これを「ケチな事を言うからそんな目に遭うのだ」と断じてしまうのは酷ではあるが、価格とは商品の品質を体現したものであり、商品の品質とは提供する事業者自体の経営に依存する、という事を消費者は改めて認識せねばならない。全ての代理店の財務諸表が公開されている訳でも無いので、必然的にそういったリスク回避の意識が高まれば、他の中小代理店にもしわ寄せがいく可能性は否定できない。
◆価格の持つ戦略的意味合い
客観的に「てるみくらぶ」の価格体系が業界水準と比べてすべからくあり得ない低価格のオンパレードだったのかは分からないが、同社が低価格を武器に成長したのは事実だと考えられるので、この機会に価格が持つ機能を見直しておきたい。
- 最重要な利益のドライバー
S&P1000社を例にした調査によると1%の変化がもたらす営業利益へのインパクトで、最もインパクトが大きかったのが価格の12.3%であり、実売増加1%のインパクト3.6%の4倍近いインパクトをもたらすというレポートもある。*3 - 競合へのシグナリング効果
90年代にマクドナルドがハンバーガー類の大幅値下げを展開して他のハンバーガーチェーンを駆逐する勢いだった事例など、大胆な価格戦略(特に値下げ)というのは昔からある。膠着状態にあるマーケットでのシェア増加や、新規参入における認知度獲得など、目的は個々に異なるが、収益性は後追いにするか、別の事業領域でオフセットするなどの前提がある。 - 価格自体が顧客価値の訴求手段
これは俗にブランド品(ラグジュアリーグッズ) に対するプレミアムである。商品そのものが持つ機能的便益だけではその価格が説明できない時に出てくるものである。消費者のブランドに対する知覚品質は経験によって決まるので、高い情緒的価値(エモーショナルベネフィット)を提供できている限りにおいて成立する方法である。
こうした価格の機能に基づいて今回の件を見てみると、顧客が見出した顧客価値と事業価値が均衡したところに価格は位置づけられるべきである事が理解できる。そして、それらの顧客価値がシグナリングと利益ドライバーという他の機能とバランスが取れている事が企業の継続性にとって重要であるにも関わらず、少なくとも「てるみくらぶ」の場合は、「シグナリング効果 > 利益ドライバー」という構図に陥っていた事は容易に想像できる。
ただし気を付けたいのはこうした構図に陥っているのは「てるみくらぶ」だけではなく、多くの中小旅行代理店も同様であろう。なぜなら、H28観光白書に次のようなデータがあったので紹介しておきたい。一般的な業種と旅行業の営業利益率の差である。この利益率の低さとOTAの台頭、民泊の急成長を前にしたら既存の中小旅行代理店では太刀打ちできないだろう。顧客価値と均衡すべき事業価値の構成要素である「再投資可能な利益」が満足に計上できない構造になっている事が想像できる。
ゲームのルールが変わっている以上、中小の旅行代理店はこの「再投資可能な利益」と、顧客が感じる「機能的」あるいは「情緒的」な便益とは何かを見直さないと後が無い事態になっていると言える。
ここで「〇〇代理店」という機能そのものがデジタルテクノロジーによって置き換えられていく可能性が高い事を考え合わせると、事業者の方に対しては「がんばってください」としか言いようがないが、消費者として出来る事として、自ら個々の施設や輸送手段を直接手配するいわばDTCのトレンドに乗るか、信頼できる代理店を何かしらの方法と基準で見出しておくリテラシーが、今回のような予測不可能な事故から身を守るうえで必要であるといえる。
*1:国土交通省| 観光庁 観光白書 - 国土交通省
*2:「第2のてるみくらぶ」被害をどう防ぐ : 東京商工リサーチ
*3:青木淳、1999年、価格と顧客価値のマーケティング戦略、ダイヤモンド社、61