◆プロローグ
私は前職でさんざんEコマースの為のオンラインマーケティングをやった後で、ここ数年はデジタルマーケテイングと呼ばれる領域で
- データドリブンなマーケテイングのインフラ構築と運用
- ソーシャルやオートメーションを軸にしたマーケティングプログラムの導入
- オウンドメディアのプラットフォーム改革
といった感じで割と横断的な仕事をチームを率いながらやってます。
こういったマーケティングのファウンデーションを取りまとめながら、一方で短期的な成果が求められるフィールドマーケティングとの間で、施策の一貫性や全体最適といった観点で折り合いをつけたりする毎日です。
さらに、名刺交換で不思議がられるのですが、何のつながりも感じられなさそうなB2Bのイベントという脂っこい分野もポートフォリオに入っております。自分の中では両者の共通項は「不可視」か「可視」かは別として、人と企業のインタラクションが発生している事、という点です。
◆何となく感じる違和感の存在
そういう仕事に携わっているので、メディアの営業さんはもちろん、デジタルマーケティング支援を生業とする会社の方とのお付き合いもあります。若くて優秀な方もいらっしゃる業界で、起業する度胸と根性が無い私は素直に尊敬してしまいます。
その一方で、デジタルマーケティングの会話は意識高く盛り上がるけれど「この人にオフライン広告とかマス広告の話はどれくらい振ってもいいのだろうか?」と逡巡する事がたまにあります。
何故かというと、私は営業さんと会話する時にどんなクライアントを担当しているのかをまず聞きます。NDAで社名が出せない場合は業種とかを差し支え無い範囲で。
その上で、そこのお客さんの課題って何ですかね? みたいな話を振って、どんな感じで担当クライアントを説明してくれるかを見ながら相手を査定している訳ですが、時折その会社の守備範囲の話ばかり話す人がいらっしゃいます。
ま、そのクライアントさんと自社の接点を説明する事で魅力を理解してもらう、という意味でのセールストークとしては一理あります。なのでそれ自体は悪いとは思いません。ただ、「そのクライアントさんの課題は何ですか」という問いに対する説明としては褒められたものではありません。
マーケティング課題の大部分がデジタルマーケティングで解決される会社や業種もあると思いますが、多くの会社のマーケティング部門は数々の課題に対してメディアやコミュニケーションチャネルをミックスして取り組んでいると思うのです。だからO2Oとか出てくるわけです。
そういう風に考えたとき、「この担当は単に自分の会社の実績が語りたいのである」という例外を除いて、もしかしてあんまりクライアントのメディアミックスとかコミュニケーションミックスを気にしてないのでは? (しかも悪気無く、無意識に) という疑問符が浮かんだわけです。
私が北海道のど田舎で産能大学の通信教育をやりながら広告宣伝をかじり始めたのは今から20年くらい前になります。世の中がアムラーに沸いている時にコトラーとか学び始めた訳です。印刷物のイロハから始まって、やがてデジタルが普及していく過程で経験を積ませてもらった世代です。
何が言いたいかというと、マーケテイングコミュニケーションしている側からすると、Push / Pull、オンラインとオフライン、ATL / BTL / TTL、トリプルメディア( これ好きじゃない) といった概念は物事を整理する上で役に立ちますが、これらはいずれも手法です。なので、目的に対して取り得るオプションという意味でどれも最初の内は平等に見ている訳です。(それは俺だけじゃないよな、と信じつつ断言。)
だけど、もし相対しているプランナーさんや営業さんが同じ尺度で物事を見てない場合、ディスカッションの内容が偏ったり、噛み合わなかったりというケースが出てきます。反対にこのあたりの「会話の合わせ」が上手な営業さんとに出会うと楽しいです。余計な事まで話してしまう場合もあります。
◆気になった記事がこちら
前置きが長くなりました。久しぶりに気になる記事というか投稿に出会ったので、今日はそれを肴にして、前段の長いプロローグも考慮しながら思う所を整理しておきたいと思います。ちなみにこちらのポストは2016年の2月ですので約1年前のものです。
なぜネット専業のアドマンは「広告人」として育たないのか - 業界人間ベム
こちらのブログの著者はデジタルマーケティング界隈、代理店筋では著名な方で、示唆に富む投稿が界隈で共有される事が多い方です。
●本記事の要旨を私なりに
- マスやリアルのマーケティングを知らない人が増えている。ネット広告専業代理店の住人たちの広告人としてのスキルが育ってないのでは無いか?
- その責任はCPA至上主義で刈り取りを握らせるだけの広告主にもある。なぜなら広告人は広告主に育てられるものだから。
- その点において、広告人が接しているのは広告主の担当者であって「マーケター」ではない。「マーケター」とは下記のような存在だから。
クリエイティブを中心としたコミュニケーションと商品開発力を含めたブランドマーケティングによる最適化を志向する
- 説明が容易である為に傾倒しがちなCPA至上主義は、部分最適でしかなく、そこに求められるのは知恵や知見が求められる世界では無く、作業である。
- その作業 ( = オペレーション ) に偏ったサービス提供しかできていない代理店側にも問題はある。課題がわからないクライアントにコンサルし、解決方法が分からない場合にプランニングだが、その能力が無い場合はその後の作業だけを担う事になる訳で、そこに付加価値は無い。
よく「マーケティングコミュニケーション」というけど、これはまさに読んで字のごとく、マーケティングとコミュニケーションがオーバーラップする部分に我々の仕事があるということだ。「コミュニケーションとは何か」の本質にアプローチできないで「広告」を語ることは出来ない。
いやー、いいこと言われますね。
前半部分を広告主たるマーケター側の視点で読んでいくと依存しすぎじゃないですかね? と感じる部分はありますが、冒頭にも書いた事をここでもう一度持ってきますが、
だけど、もし相対しているプランナーさんや営業さんが同じ尺度で物事を見てない場合、ディスカッションの内容が偏ったり、噛み合わなかったりというケースが出てきます。反対にこのあたりの「会話の合わせ」が上手な営業さんとに出会うと楽しい
私の中にある漠然とした違和感を一年前に分かりやすく指摘してくれていました。(おまえ時々読みに行くくせに気がつかなかったのか、というのは無しで。。)
前段で、担当クライアントのマーケティング課題に対する係り合い方の説明を相手に求めながら査定している、というやや不遜な物言いをしましたが、その時頭の中にはこんな感じの絵が浮かんでいます。
説明しますと、
- 前提として、Aで示されるような範囲の課題感を持っている。粒度、難易度などはバラついています。
- 通常、代理店さんと会話する時は、求めているのがCだとしても、バックグラウンドとしてのBを念頭におきながら話をします。
- その時に私が求めているのがDのような間口の広さがある人です。
こちらが説明した背景に対して質問を受ける事で、Bの奥に広がるAに光が当たったり、気づきを貰えると嬉しくなります。そういうときに「良い質問ですね」となる訳です。 - そのあたりをくすぐられつつ、Dのようなレンジで時に脱線しながらディスカッションする事で、固定化した視野がほぐされてCの精度が高くなるのが理想です。
人さまの何かを支援するという事はサービス業です。そこに私が求めるのは顧客価値の方程式*1の実現です。
つまり下式のようになります。
上式で言うところの「過程の品質」というのが、私の気にしている部分に該当します。「もたらした結果」は事前においては「ゴール」ですので、ここに共通理解が発生すのは簡単な話です。
ところが「過程の品質」という点に関しては、各社・各人でバラつきが出やすい部分です。これは代理店や支援会社の場合もあれば、クライアントたる広告主がボンクラな場合もありますので、私は「相互理解に向けての歩み寄り」が基本にあると思っています。
社内にも四半期に一度くらいのペースで媒体の営業担当や代理店のアカウンタントと思われる相手に対して電話でネチネチやっている人がいるのですが、傍で見ていて恥ずかしくなってきます。自分の仕切りの悪さを棚に上げて責任転嫁しているように見えてしまうからです。(本当は純粋に相手のミスかもしれませんが、そこは私の彼に対する認知バイアスという事で。)
◆結論としては
という事で長々と書いてしまいましたが、
- 代理店やマーケティング支援会社にブリーフするのは広告主やマーケターの仕事
- そこでボタンの掛け違えがあると、後々取り返しのつかない事になる
- だから違和感を感じたら止めて確認した方がいいんだよ
- そうやって手間を惜しまず 「過程の品質」を一緒に作り上げましょう
って感じです。なんか長い割に当たり前の結論ですが。そういう風に仕事していると「売り手」と「買い手」という垣根を超えて為になる人と出会えたり、環境が変わってもおつきあいが続くような人間関係が産まれる事を40過ぎて改めて実感しています。
それが先に引用したブログ筆者が言う所の「広告主に育てられる」みたいな事にもどこか通じているのでは無いかな、と感じた次第。
*1:近藤隆雄「サービス・マーケティング [サービス商品の開発と顧客価値の創造]」生産性出版 2006年 P163を基に筆者加筆