物心がついた頃にはプロレスを見ていた記憶がある。
これは間違いなく、今は亡き父親の影響だと40も半ばになった今、確信している。
当時(1977-1980)はジャンボ鶴田、ブッチャー&シーク vs テリー兄弟の流血上等な抗争劇といった感じで、アメリカンプロレスの王道を行っていたのだと思う。
子供心に「ドリー・ファンク・ジュニア」というレスラーは、「テリーのお兄さんだから年上 = 禿げている = でもなんでお兄さんなのにジュニアという名前?」と毎度、彼のスピニングトーホールドの回数を数えながら思っていたのが懐かしい。
私にとってプロレスの楽しさは、
- 世代闘争、団体間闘争などいくつかのアングルがある中で、団体と選手の流動性がある程度確保されている事で「プロレス」という産業のコンテクストが時代と共に形作られて来ている、時代の移し鏡的なものである事。
- 特に一線級の選手がもつタレント性、試合を組み立てるIQ、格闘という観点ではあり得ない試合数を消化するスタミナ、といった際立った能力を持つ集団が見せる演舞、大衆演劇的な魅力。
- 見えざる手でもあるかのような大きな流れがある中で、たまに発生するアクシデントがリアルとフィクションを混在させてくれる事で、観客と選手が作り上げる共同幻想的な没入感がカレントとして存在している事。
そんなプロレス好きな私にとって、Number #882の「新日本プロレスナンバーワン宣言」は、G1のチケットを取り損ねた鬱憤を晴らしてくれる読み物だった。最近の新日本の人気は、暗黒の10年を踏ん張った棚橋を始めとした選手の努力なんだと思う。親会社の変更もポジティブに働いたし、メディア環境が変わる中で、かつて黄金期を共にしたテレビ朝日への依存度を低めた事も無視出来ないと思う。
実際、プロレスには関心がない妻が、真壁を知っており、二子玉川の東急ストアで棚橋に遭遇した事を報告するに至っては、上手く時代に適合している事を実感する。
プロレスは興行であり、すなわちビジネスである以上、継続性が前提である事は普通の会社と同じである。現在の新日本一人勝ちの状態がいつまで続くのかどうか。市場という観点では競合がいた方が盛り上がるので、どこかが「参戦」してくれるとプロレス好きとしては面白い。現状の新日本はポートフォリオ(選手のね)がリッチすぎて、時々もったいないと感じるマッチメイクがあるぐらいなので、しばらくは一強の状態が続くのかもしれない。
なーんてプロレス愛を書いておいてなんですが、こういうのは残念。
実際、私も被害者でございまして、こんなお手紙が7月に届きました。
でも「流出の疑い」が分かったのは4月の事らしく、事実関係の把握に時間を要したとは言うものの、もう少し早く対応出来たよね? とは思う。
晒してどうこうするつもりはないけど証拠として。
何が残念って、普通のQUOカードという。。。
プロレス文脈的には、ここで選手のカードでも入れてくれれば「受けの美学」として「問題ないぜ。これもプロレス。」という感じで笑いに昇華出来たような気がします。
そういう行儀の悪い事をやらないのが最近の成功にも貢献しているとは思うけどね、個人情報流出という不祥事もプロレス的に洗い流して欲しかったな、というプロレス好きの葛藤。
↓スイーツ真壁とかレインメーカーで始まった方は必読