軽めの仕上がり (はてな編)

Curiosity is the most powerful thing you own.

読書メモ : 経済学的思考のセンス

「経済学的思考のセンス お金がない人を助けるには」大竹文雄 / 中公新書

 

■読む経緯

堅いテーマを適度な難しさと親しみ易さで教えてくれる中公新書は好きな新書で、以前に購入した梶井厚志さんの「戦略的思考の技術」がゲーム理論を理解する上でとても役立ったので、同じタイトルの傾向に惹かれて購入。

■読書ノート : 書評では無く。気になる所を引用して振り返りながら頭を整理。

・経緯でも触れた「戦略的思考の技術」では、戦略的環境を以下のように定義する。

自分の利害が自分の行動だけでなく、他人の行動によってどう左右されるか、という状態が戦略的環境であり、その分析ツールがゲーム理論である

と説いている。これは「自分」と「他人」を「自社」と「他社」に置き換えると企業における競争環境と同じと考える事も出来る点が、非常に説得力を持つ。

 そして、本書と共通している部分として、インセンティブと因果関係が重視されている点が経済学的視座の書物として(当たり前だが)通低している。

 

■前提となる考え方

・タイトルにある「お金がない人」とはすなわち賃金格差の結果。産まれ持った才能は個々に違うので、同じ成果を得るのに要する努力のレベルが異なる。そして努力水準は客観的に観察出来ないので、人々に努力を促す手段として賃金格差が存在すると考えられる。つまり賃金格差とはインセンティブである。

・社会における様々な現象をインセンティブを重視した意思決定メカニズムから考え直す事が経済学的思考法と定義される。

 

■インセンティブと因果関係

・結婚相手としての三高である高身長と高所得の因果関係を計量経済学で研究した成果として、16歳時の身長が鍵という調査結果が存在する。この年齢の意味は、部活動などでリーダーを取る可能性が高く、それが要員となってより社会的責任のある地位に着く確立が高いという研究が紹介されている。

 

・美人の経済学

仮に労働市場で美人が得をしていたとすると、その経済学的理由は、以下の三つ。

  1. 雇用者の差別がある場合
  2. 顧客がそれに満足する事で生産性が上がり、結果として賃金が上がる場合
  3. 美男美女である事自体が生産性を高める場合 (俳優など)

この内、2と3は生産性に裏付けがあるので、効率性の観点から問題は無い。また容貌による賃金差別や採用差別を禁止する法律を作る事は社会全体の生産性を引き下げる事になるので良くない。

 このあたりの論理は、航空業界におけるCA、テレビ局のアナウンサーなどにおいて具体例が見て取れるのでは無いだろうか。

 

・アメリカ人は何故太るのか?

 統計的にアメリカの肥満度の高さは確認されているが、原因は摂取カロリーの増加である。(消費カロリーに対する) 

 これは食品調理の準備における分業の進化、つまり調理時間の短縮が、選択肢の増加に繋がり、肥満につながったとされる。高カロリーのものが増えたのではなく、時間の短縮により接種カロリーが増えたと見るのが正しい。

 標準的な経済学の観点で見れば、技術革新で価格が低下する事は社会の厚生を高める。しかし食べる量について自制心が働かないと、食事に係わる時間費用の低下が肥満を引き起こしてしまう。これは「時間非整合性」と言われている。

 そして「食べすぎる事」を抑制出来ない人や、体重を減らすために運動が出来ないような人の場合は、食事に関わる時間費用の低下が肥満や病気をもたらし、結果、生活水準を引き下げる要因になる。

・相関関係と因果関係の取違い

 しばしば「負け犬」「負け組」といったものが取り扱われる際に、「まともな人はもう結婚している」といったある種のRule of Thumb は、 体感的には納得できる部分があるが、重要な見落としがあると著者は指摘する。

 このルールは因果関係をもとにしたものなのかどうか、という点だ。

 つまり、「まともだから結婚しているのか」、「結婚してからまともになったのか」という両方の観点が論理的には成立する。特に前者で物事を見ている場合、「独身にまともな人はいない」と同義になってしまうし、「まとも」が結婚を規定するのであれば、「まとも」な人から順に結ばれていく事になるので、最近、耳にする機会が増えてきた「晩婚」は成立しにくいはずである。

 なお、確認しておくと、統計学的には 、

「相関関係は因果関係と同じでは無い。因果関係の必要条件の1つ」
Tufte, Edward R. (2006).*1

でしかない。「まもとな人」は「結婚している」事が多いという点に相関性が観察されたとしても、それが因果関係を示しているとは必ずしも言えないという点には注意が必要。こういった誤謬はしばしば見られるので気をつけよう。

・善きサマリア人のジレンマ

 災害の多い国である日本では、万が一の復興基金はよく耳にするものの一つである。こうした被災者生活再建支援法の支援金は意外と少額である。その理由は、以下。

  1. 政府が私有財産を形成する為に直接支出するのは憲法違反
  2. 復興政策を手厚くすると、保険未加入や危険地域への居住を促進してまう

経済学的には2がリーズナブルとなる 。いわゆるモラルハザードを意味している。

「善きサマリア人のジレンマ」とは、苦しむ人に惜しみなく同情と支援を与える人物が「善きサマリア人」として聖書に登場するが、これが行き過ぎると、他人の善意をアテにして、本来、自助努力すべきところをそれに依存する人が増えてしまい、結果的に社会全体にとって好ましくない状態になる事を意味している。

 

 ■リスクとインセンティブのトレードオフ

・成果主義賃金

 プロスポーツ選手に代表されるような成果主義に基づく賃金は、

  1. どのような仕事のやり方をやれば成果が上がるか分からない場合
  2. 従業員の仕事ぶりを評価できないが、成果の評価は正確に出来る場合

に導入するのが適しているとする。一見、逆なようだが、、

  1. 成果に対する評価制度の整備
  2. 評価過程の公平性
  3. 従業員側の裁量権が増える
  4. 従業員の能力開発機会が十分に与えられる

といった要件が満たされていないと成果主義的賃金体系は向いていない、と書くと分かりやすい。

 本書ではプロ野球の監督の勝率を例にしているが、「どうやったら勝てるか、打てるか、守れるかは分からない(成果が上がるか分からない)ので、やり方とその結果は本人の再現能力や体現能力(仕事ぶり)に依拠せざるを得ない」という事であり、これはどういった努力の投入量や形態が適切なのかも判断出来ないが、成果の評価だけは確実に出来るものであるという条件を満たす。

・職務発明に宝くじ型報奨制度

 成功するかどうか分からない革新的な研究活動は、不確実性も高い。企業はこうしたリスクのある研究に対して複数の研究要員を充てており、それが組織的に研究活動を続けて、ある時『当たり』が出たすると、たまたま当たりを引き当てた人と、それまでにはずれを量産した人との間には確率的な違いしか存在しないと考えて、全体の成果として分配される事を求めるはずである。つまりエンジニアはリスクを嫌う、という仮定が存在している。この仮定が機能する時、つまりエンジニアがリスクを忌避する場合、

企業は報酬を事後的な成果に応じて支払う必要が無い。職務発明が成功した場合に得られる期待収益から、職務発明の不確実性によって発生する危険負担分の保険料を差し引いて固定的に支払ってもらう事をエンジニアは臨むはずである

と言える。

 完全出来高と完全固定という両極があるとして、エンジニア(別にセールスでも良い) の意欲が維持されて、企業としても受け入れ可能なリスク(事業継続に支障が無い)という平衡で賃金体系が作られていくという事になる。すなわち、リスクとインセンティブのトレードオフという事。

・日亜化学の一件が示唆するもの

 青色発光ダイオードを巡る一連の裁判沙汰は社会を大きく揺さぶった。最終的には東京高裁の6億円 (遅延損害金含まず)で和解となったが、一審の東京地裁が提示した200億円を支払うべし、という判決は特に話題を呼んだ。

 こうした巨額の対価を一研究員に支払うという事に対して賛否が巻き起こった訳だが、こうした巨額の報酬に賛意を示すエンジニアもいるという。これはエンジニアはリスクを嫌う、という先の仮定とは矛盾する。これを経済学的に説明するには、

  • 「エンジニア個人の成果仮説」= その人が本当にすごかった
  • 「成功確率を課題に見積もっている」= 俺も発明出来るはず 

という場合を想定すれば説明出来る。

当選確率が3割程度の宝くじを並んで買うという事にも端的に現れているが、

人は成功の可能性が低いものについて、その成功確率を客観的なものより過大に評価してしまう。為に、本来危険回避的であるにもかかわらず、危険愛好的であるように行動してしまう。そうであるならば、成功の可能性が低いプロジェクトが固定給ではなく成功報酬型になっている事を人が好む事も説明可能である

人は何をインセンティブとするかによって、新古典派経済学が想定するような『合理性』からは説明できないような行動をとることもある。行動経済学で言う『限定合理性』というものがこういった部分からも理解できる。

--------------------

■書評はしないといったので、収穫。

 社会的に関心がもたれるトピックに対して、経済学の基本的な視座であるインセンティブと因果関係を通じて眺める癖をつける良いきっかけを得た。また、経済学と行動経済学のブリッジにもなるような気付きを得られた。

 

↓223ページ。読みごたえありおすすめ↓ 

.     

*1: The Cognitive Style of PowerPoint: Pitching Out Corrupts Within. Cheshire, Connecticut: Graphics Press. pp. 5. ISBN 0-9613921-5-0.